2016/02/02

ためいきの後

私がまだものすごく若かったころの話です。好きな人に振り向いてもらえなかったり、好きな人ができなくて困ったり、つきあってみたけどうまくいかなかったり、私も人並みに恋愛の悩みはありました。友達と、一体どういう人が私には合うのだろうというテーマでため息まじりに時間も忘れ語り合ったときもありました。人並みに。そんなある日、ある人に勧められた本がありました。本、というより、絵本、というよりイラスト本。私の恋愛感を覆すような衝撃的な観点の物語でした。その人は大人向けだと言っていましたが、今思えば、子どもにも読んで聞かせてまったく問題ないものです。ただ、大人の解釈と子どもの感じかたは当然違うと思います。大人は、自分の人生や恋愛経験を振り返って、道標になるような哲学的なことを読み取るはずですが、子どもはきっと、純粋な冒険物語として楽しむと思います。大人になった私は、なにが悔しい、なにが悲しいって、もう子どものころのような感覚で、作品に触れ合うことができないことです。どうしても大人ならではの「解釈」をしてしまうのは、年を重ねることが楽しいと思いつつも、そこだけは残念に思うところです。

とはいえ、その絵本を大人として最初に読んだ時の衝撃といったらありません。それまで私に足りないものを持っている人でなきゃと決めつけていたところに、恋愛観の新風が吹くような思いでした。なんだかタイトルをもったいぶってしまいましたね。『ぼくをさがしに』、『続ぼくをさがしに/ビックオーとの出会い』(著:シェル・シルヴェスタイン、訳:倉橋由美子、講談社)のことです。

こんな内容です。パックマンみたいな形のものが、自分にはどこか欠けていて、うまく道をころがれないし、楽しくもないとおもっています。欠けてる部分を埋めてくれる相手はいないだろうかと旅に出ることにして、路中いろいろな形と出会い、大きすぎたり小さすぎたり上手くかみ合わず、失敗を繰り返す学びの過程が描かれていきます。私は一冊目の結末もしかりですが、それを経て2冊目の悟りが開かれるような結末に、大きな気づきがありました。欠けてる部分を相手に求めるよりも、かといって欠けてることを良しとして自己満足するでもなく、とにかくひとりで動きだすことによって次第に角が取れていくのだろう、いい巡り合わせはその後におのずと訪れるのであろう、という気づきです。

このように、大人が読むと、恋愛観や、さらには人生観に新鮮な空気が流れ込んで、深いため息と共に癒されるイラスト本はいくつもあります。例えば『まってる。』(著:デヴィッド・カリ/セルジュ・ブロック、訳:小山薫堂、千倉書房)。最近では『おおきな木』(これもシェル・シルヴェスタイン作です。翻訳は村上春樹、あすなろ書房)。オスカー・ワイルドの『ナイチンゲールと薔薇の花』ほど酷な話ではありませんが、長い年月を経て、大切な人を思いやる慎ましやかな自己犠牲に心が震える思いと、与えることの喜びを教わりました。ウチの子に読み聞かせながらそんな思いを巡らせて、最後、本を閉じるときに、私は大きなため息をついたのですが、それがなんとうちの子もまったく同じテンションのため息を同時についていました。うーん、、、。6歳の男の子はいったいこの物語をどう感じたのでしょう?私と同じように、ため息の後には心に和みが宿ったのでしょうか?(Anne)

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右から時計回りに『おおきな木』(あすなろ書房)、『まってる。』(千倉書房)。そして『あした、がっこうへいくんだよ』(評論社)は、読んだ時期が悪かったせいか、うちの子には響きませんでしたが、とっても良い本でした。強がる心境がシンプルに描かれています。『ぼくを探しに』シリーズは、只今山荘の本棚に置いてあるので、今回写真は見送ることにしました。

 

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