2017/11/17

ガラスの贈り物

そろそろクリスマスプレゼントの準備に取り掛かる時期になりましたね。

贈り物は、貰う方も渡す方も幸せな気持ちにさせてくれますよね。特に、渡す方の方が幸せなようにも思います。

でも、いざクリスマスが近づいてきて、いよいよ選び始めようとすると、私は、すぐに良い贈り物が思い浮かびません。それでウィンドーショッピングやネットサーフィングなどして、あれやこれや迷って、大切な人のことを思い浮かべながら、どういうものだったら喜ぶかなと考えたり、その喜んでいる顔を思いうかべたりします。それだけでも楽しいし、幸せではないですか?そんなふうに人のことを思いやるクリスマスシーズンは、いつもより世の中に幸福感が溢れるいるような気がしますし、そんなふうに人を思いやれる時間があること自体に感謝したいです。

さて。話は逸れますが、先日久しぶりにアフターファイブの街に繰り出して、ギャラリーに個展を観に行ってきました。

ガラス造形作家、奥野美果さんの『ひかりの在るところ』でという個展で、18日まで麻布十番の『ギャラリー・ラ・リューシュ』で開催されています。

あ、明日までですね!

http://www.micaglass.com

実は、この方のお父様は文芸評論家の奥野健男氏で、私は祖父母の代から交流があり、幼少の頃、別荘に幾度か遊びに行った覚えがあります。もうかれこれ40年ぐらい前の話ですが。それっきりお会いしていなかったに、ひょんなことから連絡をいただいて、嬉しいことに個展のお誘いまでいただいた、というわけなんです。

さて、今回展示されていた作品は、というと、豪邸に住んでいたら飾りたくなるような大きめのものから、玄関にちょこっと飾れそうなサイズのものまで様々ですが、素敵なものばかりでした。ガラスを通して生まれる光が面白い。それに、ガラスという素材が冷たいイメージのものなのに、生命の温かみが感じられるようなコントラストも魅力的です。今にも動きそう、息づいているよう、「ねぇ」と肩に手を添えて語りかけてくれるようだったりと。

見ているうちにどうしても欲しくなってしまったので、お手頃サイズのものを一つ購入しました。小さな花瓶にもなります。

写真の、右と左の作品で散々迷って、結局、右のものにしました。皆さんだったらどちらにしますか?

ちなみに一緒に行った従姉は左の方が好み。気泡の現れ方が可愛いと言っていましたね。

そこで思ったわけです。

大切な人への贈り物として、こういう芸術作品も良いなと。残念ながら今回は、2作品は購入できませんでしたが、もしそれが可能だったら、誰に贈っただろうかなと想像して、気持ちの高鳴りを感じながら家路につきました。

(Anne)

卯年の兎好き

先日、スタイリストの石井あすかさんのブログを見ていたらこんなことがありました。

http://osharetecho.jp/archives/5264/

他のみなさんもそうですが、いつも綺麗な写真を載せていらしてすごいなぁと読んでいると、9月29日付けの伊勢と四日市旅行記に、私の持ち物が登場しているではないですか!え!どういうこと?

でも、よくよく見てみると、私の物ではもちろんなくて、あすかさんが購入されたという帯留めでした。嬉しい!思わず「私も同じの持ってる!」と叫びたい気持ちを堪えて、お揃いを確かめに、箪笥の引き出しをゴソゴソやりはじめました。ここ数年着物を着る機会がほぼなくなってしまったために、かわいそうに、箪笥の奥の方に追いやっていたようです。10年前ぐらいに一目惚れした作品なのに。手持ちのアクセサリーの中で一番、と言えるくらい好きなデザインなのに。

天野ミサさんという彫金アクセサリー作家さんの作品です。彫金素材と動きのあるデザインが大人っぽくて、うさぎモチーフなのに甘すぎない。この作品を身につけていると色々な方が褒めてくれるので福来る、招き猫ならぬ招き兎のようなものです。

早速引き出しの奥から引っ張り出して、久しぶりに我がうさぎを手に取ってみました。すると、あすかさんのと同じと思っていたのが、実は向きが違う。しかも手作りとだけあって、少しばかり手の長さや目の表情などが違う。私のうさぎは帯留めとしても使いますが、裏には安全ピンがついているブローチです。あすかさんのもブローチなのだろうか。

というわけで数日前、お会いした時に聞いてみました。そしたら、本当の帯留めだそうです。裏がベルト通しのようになっているやつですね。ミサさんの作品、いいよねと共感して、にっこり。

あすかさんは卯年だそうで、「うさぎの物には目がないの」とおっしゃってました。

(私の帯留めバイブル、貴道裕子著『Obidome』p93には、こんなぷっくりしたうさぎが。)

そういえば、私の祖父も卯年。「だからうさぎの物が好きなんだ」と生前に言っていたのが思い出されます。確かに絵画やら置物やら食器やら、鬱陶しくない程度にうさぎモノが祖父母の家にありましたね。書斎にも黒うさぎの小さな置物が飾ってありました。カナダ土産で、ネイティブ・アメリカンの民芸品かどうかは定かではありませんが、幼いながらにずっと気になっていました。あるとき思い切って「頂戴」とねだると、すんなり「いいよ」。

うさぎモノには目がないとはいえ、目に入れても痛くない初孫の私のためですから。黒うさぎは今、我が家の書斎でおとなしくしています。

おまけ。『天の火をぬすんだウサギ』評論社。ネイティブ・アメリカンの伝説。

(Anne)

2017/10/30

映画『ギフテッド』

今日は、11月23日から公開されるオススメ映画、『ギフテッド』のご紹介です。シンプルなのに深い、深刻なのに軽やか、泣けるけど楽しい、そんなハートウォーミングなファミリードラマです。

みなさん、「ギフテッド」と聞いて、なんだろうと思いませんか?日本ではあまり馴染みはないかもしれません。簡単に言うと、生まれつき特別な才能を持った子という意味です。(このことについては後ほど少し触れてみます。)本作品では、ずば抜けた数学の才能を持ったギフテッド、メアリーという7歳の女の子が登場します。とはいえ物語は、雲の上の話、とっつきにくいコアな内容ではまったくありません。どちらかというと、家族の幸せや、ひとりひとりの幸せはどこにあるのかという、身近な問いが散りばめられた、人懐っこい雰囲気の作品でした。監督は『(500日のサマー)』のマーク・ウェブ。

舞台はフロリダ。メアリーは、叔父さんでシングルのフランクと、賢い片目の猫と仲良く暮らしています。でもちょっと訳ありです。母親は亡くなっていて、叔父は養育を託され、祖母とは連絡を閉ざしている様子。おまけにメアリーはといえば、類まれな数学の才能があるときています。にもかかわらず、叔父の方は頑なに姪の特別扱いを拒んでいます。しかし、メアリーが小学校に上がるタイミングで問題が浮上します。クラスでの計算問題は簡単すぎ。苛立って生意気な態度をとるメアリーをどうするべきか。普通校、特別校、それとも研究室?メアリーが満たされる環境はどこなのかを巡って、フランクと教師、そして祖母との間で討論が始まり、衝突は裁判へと発展して行きます。幸せの鍵はどこに?やがて思いもよらない真実が明らかになります。メアリーの母親の願いとは…。

メアリー役を演じたのは、輝く大きな瞳が魅力的なマッケナ・グレイス。子供らしさと知的な雰囲気を兼ね備えていて、激しさも表現できて、泣くシーンも天才的。まさにギフテッドにふさわしい子役だと思いました。フランク役のクリス・エヴァンスにも驚きました。『アベンジャーズ』シリーズの、肉体派アメコミヒーローのイメージが強いですが、一転して少し影のある、少しもっさりした、近所にいそうな優しい叔父さん役を見事に演じています。

その他の役者たちの演技もリアリティーがあります。こうした親しみやすい人物像で固められているのも、本作品の魅力だと思います。ご存知のかたは、現代版『クレイマー・クレイマー』ね、と思うかもしれませんね。ともあれ感動作です。

ところで、この「ギフテッド」というタイプについて少し触れてみたいと思います。

私は、保育園や小学校、それに地域の読み聞かせ活動などで、いろいろな子供達や保護者の方々とふれ合う機会が増えてきました。そんな中、時々「おや?」と思うお子さんがいます。例えば、長文絵本を他の子にスラスラ読み聞かせる3歳児、図鑑レベルの宇宙の知識があり語彙も豊富なのに作文は苦手な7歳児、一般的な漢字はほぼ読める超完璧主義の6歳児、どんなお稽古をやらせてもあっという間にレベルアップしてしまう6歳児、極めて高IQなのに普段はぼんやりの6歳児、芸大生のようなデッサン力と工作能力があるのに他のことは苦手の5歳児、セリフや振り付けを一回で覚えてしまう5歳児、などなどです。あと全員ではありませんが、凸凹した成長の仕方、気性の激しさや、過敏な性質が目立ちました。そこで、調べ始めて出会ったのが、この「ギフテッド」という個性です。本作品では、大学生以上のレベルの数式を解いてしまう、といった分かりやすい「ギフテッド」を描いていますが、実際、「ギフテッド」と一言に言ってもいろいろなタイプがいるようです。いわゆる「天才児」とは少し違う。このメアリーのように超難問の数式がとける子、飛び級できる子というようなタイプだけではまったくなく、また高IQだけが診断の基準でもなければ、学習方法が独特なため、必ずしも学校の勉強ができるわけでもなく、タイプは様々だそうです。大きな誤解が生まれないためにも、どうやら、もっと理解を深める必要がありそうです。ただ明確なのは、一般的な優秀なお子さん、というのとは明らかに様子が違うということです。こうしてアンテナを張っていると情報が集まってきやすく、「ギフテッド」はレアなケースですが、さほどレアでもない。ギフテッド・タイプはあちらこちらに思いの外いるな、という印象を受けました。

特徴としてはこうです。ウィキペディアに「優秀な子」と「ギフテッド」を比較したグラフがあるので引用します。

優秀な子供(Bright Child)

ギフテッド(Gifted Child)[26][27]

質問に答える

詳細を討論する、話をそこから展開できる / 質問に疑問をもつ

興味を示す

非常に好奇心が強い

興味を持って聞く

強い情感と意見を表す

自己満足する(正解した時)

厳しい自己評価(完璧主義)

精巧に真似ができる

新しいデザインを創造する

簡単に学ぶ 

退屈、すでに答えを知ってる

答えを知ってる

質問する

注意深い 

心身ともに熱中、没頭する

成績はトップグループ

グループ枠を超えた成績

学校が好き

学ぶことが好き(でも学校は好きではない)

同学年の生徒といるのを好む 

大人や年上の生徒といるのを好む

受容的 

真剣、情熱的

反復6-8回で修得する 

反復1-2回で修得する

単純で順序立てたやり方を好む

ゴールを明確に設定し、そこから逆算する。複雑さを求めているような誤解を受ける 

一生懸命に努力する 

遊びながら、集中力に欠けたり、でもよい成績をとる 

アイディアを理解できる

抽象化思考ができる

よい暗記力 

よい推測力

よいアイディア 

常識外れたアイディア(とっぴな、ばかげたアイディアに見える)

ほかにも、ギフテッドの特徴として、上記と重複する部分もありますが、例えばこんなです。メアリーにも見られるような強い正義感(博愛主義、平等平和主義、自然や動物に関して強い愛護)や、ユーモアのセンス(オヤジギャグを含む)、学び方が独特(ある人は「インテンス」、ある人は「知識を渇望している」などと記していました)、長時間集中できる、スポンジのような吸収力、過敏、激しい、問題児とみなされやすい、他の子とのギャップを感じている、などがあります。

以下のサイトには、分かりやすい説明が載っています。

https://moomii.jp/kosodate/gifted-feature.html

というわけで少しギフテッドについて触れてみましたが、複雑なので今回だけではお伝えしきれないのが残念です。

ただ、こうした特徴を持ったギフテッドなだけに、子育てに手こずる場合が多く、保護者は自分の子育てに非があると思いがちです。また、いくら子供のこうした特徴を親が理解していても、まだ「ギフテッド」の認知が高くない日本では、周囲の理解を得るのが難しく、援助を必要としているのに誤解を受けてしまう傾向があると思います。瞬時に理解できる教育者やカウンセラーに巡り会えたケースはラッキーですが、そうでなければ、知人にも打ち明けられず、公的相談窓口も見当たらずで途方にくれたり、園や学校側の無理解に傷つけられてしまう悲しいケースも多いようですね。「ギフテッド」といっても、羨ましいことばかりではないと。親子両者を孤独の淵に追いやってしまわないように、日本でも理解が深まることを願っています。

今回、この作品の公開が、そのきっかけになるといいですね。

映画『ギフテッド』(1時間42分)、11月23日(木・祝)TOHOシネマズ、シャンテ他ロードショー。

(Anne)

 

 

 

2017/10/15

いきもののはなし

動物園に行くことはありますか?あんがい、けっこう、いえ、ものすごく、楽しいと思いませんか?

私は昔、家族に連れられて、または遠足で行った覚えがあります。でも当時はあまり動物に興味がなかったうえに、人だかりの中、なんとか頑張って柵に近付けたとしても、動物は遠く、少ししか、あるいはガラス越しにしか見れなくて、行くたびにがっかりしていた記憶があります。家で動物図鑑を眺めている方がまだ面白いと。野山などで空想に浸ってお姫様ごっこをしてる方が断然楽しいと、そんなふうに思っていた子供時代でした。でも、今度は自分が子どもを持つようになると、動物園は避けられないお出かけスポット。連れていかなくてはという責任感で、再び、でもしぶしぶ、行くことになりました。それが数年前。

しかし昔の私は何処へやら。行けばどの子どもよりもはしゃいでいたのは、まぎれもなく私だったようです。今では年に数回行く程の動物園好きになりました。ありきたりな表現ですが、本当に生き物って面白いです。そして、不思議。さらに、なんといっても可愛い。

というわけで、先日もズーラシアで楽しんできたところです。

ズーラシアにもいますが、私が最近興味を持っているのはリカオンです。動物は、トラやヒョウ、それにシマウマやキリンのように美しい幾何学的な模様をまとっているもの、というイメージがありました。体の一部にだけに幾何学的模様のあるオカピのような動物もいますね。あとは、まるで太極図のようなマレーバクの体色も感動的です。月夜でのカムフラージュはお手の物だろうなと関心します。でも、リカオンは違いました。初めて見た時、「デタラメ」と表現したくなるほど不規則なまだら模様は、あまり美しいと思いませんでした。でもよく見ると、身体つきはけっこう華奢で弱そうです。聞けばサバンナの肉食動物の中では立場が低めだそうです。でも知能派。仲間との団結力が強く、狩りの戦略は真田軍顔負けと思うほど巧みです。しかも獲物を見つけたらしつこい位、どこまでも、どこまでも、追う。命中率は80パーセント。ライオンの3〜4倍ですもの。その様子をドキュメンタリーなどで観ると圧倒されますが、獲物を捕まえた直後の様子は正直あまり見たくないですね。気になる独特な模様はというと、実は人間の指紋のようなもので一匹一匹違うのだそうです。当初奇妙な柄と思いましたが、いろいろと見聞きしているうちに、リカオンの魅力に気付かされたというわけです。(ズーラシアでは、うっかりリカオンの写真を撮り損ねてしまいました!)ともあれ、動物の生態はまだまだ謎も多いそうですね。知られざる動物世界に惹きつけられます。

そんな動物たちの魅力を素晴らしいデッサン力で表現した絵本作家がいます。吉田遠志さんです。木版画作家としても有名ですが、「自然や動物を愛する心は、幼い時から養われねばならない」と作者が強い思いを込めて、『絵本 アフリカのどうぶつたち』(リブリオ出版)というシリーズを制作しました。

全17巻にも及ぶこのシリーズは、どれもサバンナの光や風、動物たちの生き様や躍動感が押し寄せてくるような、力強さがあります。具材は水彩と色鉛筆なのでしょうか、タッチはとても繊細なのに。

遠目にも映えるのでお話会でも使えると思います。内容も深く、象がお葬式をするという実話に基づいた『かれえだ』という題の一冊では、象牙の密猟を彷彿とさせるシーンもあり、また、『おもいで』ではサバクトビバッタの蝗害を描いたシーンがあったりと、世界情勢に関心を持ち始める高学年にも十分合うと思います。中学生でも読み応えあるかもしれません。このシリーズの第1集は『ライオンのかぞく』というテーマで全7冊から成り立ってます。『はじめてのかり』、『ありづか』などのお話があり、一話一話お話は完結していますが、7冊を通してライオンのサバイバル物語にも発展していきます。

第2集は『ゾウのかぞく』というテーマ。『かれえだ』や『おもいで』といったお話はここに含まれます。そして『草原のなかま』という第3集へと続きます。この三部作は、それぞれに繋がりを持ち、物語が絡み合って、壮大なサバンナの自然が読者の心に広がる展開になっています。

ちなみに、リカオンが主役の一冊もあります。

第1集『ライオンのかぞく』の中の一冊、『おみやげ』です。素晴らしい狩りの戦略も描かれていますし、その「おみやげ」が何かというのにも驚きます。後書きも逃せませんよ。お楽しみに。

ただ、あろうことか、このシリーズは絶版です。中古も、状態が良いものは高額がついているのもあり、全シリーズ購入したくても、あきらめる他ありません。幸い、図書館で借りれますが、できればずっと家に置いて何度も読みたい、そんな作品ですね。こういうシリーズこそ複刻の価値があると思います。是非、複刻して欲しいです。

(Anne)

2017/09/30

朝の一茶

皆さんの朝食にも、毎日必ず登場する定番があると思います。

パン派の人、納豆ご飯でなきゃという人、コーヒーなのか紅茶なのか、最近はスムーシーという人もいるでしょうね。

私は基本、丼いっぱいぐらいの大量の濃いミルクティーを飲みます。そうでないと一日が始まらないタイプですが、今年の夏頃からでしょうか、暑さに負けてミルクティーもヘビーになり、この頃は緑茶を淹れる毎日が続いています。好みはガツンとした茎茶です。

ある朝も、もはや黄土色といえるぐらい濃く淹れた茎茶で、さて一服、というとき。座った場所は、ソファーの片隅で、息子が毎朝読書をする指定席でした。肘掛には案の定、絵本やら児童書やらが無造作に山積みになっています。これをどう片付けようかとやれやれしていると、最近購入した一冊が目にとまりました。

『蛙となれよ冷やし瓜』(岩波書店)という、新刊ではありませんが、最近の絵本です。面白いのは、小林一茶の俳句を絵本にしたところもしかりですが、なによりもアメリカで出版された『Cool Melons-Turn to Frogs!』という絵本を翻訳したもので、一茶の逆輸入だというところです。作者はマシュー・ゴラブさんという絵本作家の方のようです(以前は日本で広告関係のお仕事をされていた?ようですが)。絵のほうは、カズコ・G・ストーンさんで、『やなぎむらのおはなし』シリーズは絵本好きには有名です。小さな虫たちの小さな世界に目を向けたとても楽しいユニークなシリーズですが、この方以上に一茶の世界を描ける作家がいるかしら、と思うくらい適役だと思いました。

まあ、そういう絵本なのですが、最近息子が俳句に興味を持ったので、シメタ、と思って俳句関係の本を何冊か揃えておいたうちの一冊です。でも、どうやら、まだ読んでいな様子。それでは、茎茶片手に朝の一茶でも、と私が手に取ってみました。

結果、号泣。

早朝から号泣なんてあまり聞かないですよね。でももっと驚いたのは、俳句でこんなに泣ける、というところです。俳句というのは、しみじみ良い、感動がじんわり、ほっこりした気持ちに、というような感情が生まれる表現方法だと思っていましたが、号泣です。映画館で感動作を観たときのような。俳句で、です。

これは、この絵本の作りが素晴らしく一茶の心に寄り添うように作られているからだと思いました。

俳人の生涯を追いながら、節目節目で俳句を紹介していき、そこには原作にあるオリジナル英訳と、その英訳をさらに和訳したもの、とが並んでいて、一句一句をさまざまな角度から、読むこと(俳句の場合、見ること、感じること、という方がふさわしいと思いますが)ができて、一茶の世界観が開花するような感覚を覚えます。どれだけちいさき、はかなき命に目を向けていたか。命とは呼べないようなものにも命を宿す、内向的な慈しみ深さに、ただ、ただ、涙が出てきました。

極みは、題名にもあるのこの句です。

「人来たら蛙となれよ冷し瓜」(英訳の和訳は「やい、冷し瓜やい もしだれか来たら 蛙に化けろよ」とあります。)

瓜が冷やしてある。そのうち誰かに食われてしまうんだな。かわいそうに。人が来たら蛙になって逃げるんだぞ。という内容ですが、今でいうと、きゅうりを見て食べられちゃうからかわいそうと思うということです。ふつう、かわいそう、なんて思いませんよね??一茶が数々の困難や悲しみを乗り越えたのちに生まれた、一句です。

ちなみに、アメリカではハイクはスシと同じぐらい親しみのある言葉だそうで、小学校では音韻をふんだ詩、ハイクを作る国語(英語ですが)の時間があるそうで、文化の輸出入って面白いですね。

小林一茶ってどんな人だっけと思っても、忙しくてなかなか本を読めない方に是非。絵本ですが、入門書として手にとっていただきたいものです。

(Anne)

2017/09/21

絵本熱、37度8分

私の絵本熱は37度8分。他のことが全くできないほどではありませんが、できれば絵本というベットでじっとしていたいという具合です。とにかく、あまりにもたくさんの素敵な絵本があって、どれもこれも紹介したいのですが、どれを紹介しようかとか、テーマはなににしようかとか、そもそもこういう話題に興味を持つ人がいるのだろうかとか、あれこれ考えていると日が経ってしまって、日が経てば経つほど、はたまた良い絵本に出会って、紹介したい作品が、じゃんじゃん、じゃんじゃん、増えてしまう、といったこの頃です。

絵本は、文がなければ絵画だし、絵がなければ文学ですから、絵と文の機織り物のようなもの。独特の凝縮された魅力があると思うのです。

というわけで、もう、あれこれ考えても仕方がないので、えいや!

今回は、ただただ、ランダムに最近のお気に入りの絵本をご紹介しますね。

地域小学校の2学期が始まって最初のお話会に使った絵本は『かぞえる』(復刊ドットコム)。

2年生に読みました。作者はもともとテレビアナウンサーだった楠田絵里子さんです。この方の、科学に詳しく、好奇心旺盛で多趣味、探究心と行動力がずば抜けているところに、昔、憧れていました。舞踏家で演出家のピナ・バウシュの熱烈なファンとしても知られていて、国内外かまわず公演があると聞くとすっ飛んで行っていた時期もあったそうですよね。同じピナファンとして、羨ましかったです。『ピナ・バウシュ中毒』というエッセーも出ています。この度、絵本も書かれているんだと知って、はたまた羨ましいと思った以上に、思いがけない媒体で楠田絵里子さんを再発見したのが嬉しかったというわけです。絵の方は、これまたエネルギッシュでユニークな画風の飯野和好さんです。構図がとにかく素晴らしい。

肝心の物語はというと、二人の男の子が、数を競い合うことから始まります。

いくつまで数えられるか、アイスはいくつ食べたか、家族は何人いるか、とか。そうこうしているうちに取っ組み合いになります。数が多ければそれでいいのかな?という問いかけがあり、徐々に数について考えてゆきます。数えられるもの、数えられないもの、いろいろな数え方があったり。

パプアニューギニアの数え方も紹介されていますが、きっとみなさん驚くでしょう。そして、数ばかり競い合ってると、、、ミサイルの数も増えていって、、、。という展開です。主人公の設定は5歳児ですが、中学年ぐらいの友情も感じられるので、もしかすると平和についての思考力が深まる3~4年生ぐらい最適なのかもしれませんね。

次に『マッチ箱日記』(BL出版)。

あまりに発想が豊かで素晴らしいので、ひとりで読み終えたあと、作者の名前を確認したら、なるほど、納得。あの傑作、『ウェズレーの国』の作者、ポール・フライシュマンでした。物語は、イタリア系のひいおじいさんがひ孫に、貧しかった少年時代とアメリカ移住の経験を語るものです。

学校に通えず、字も書けなかった少年だったわけですが、日記を書く代わりに、マッチ箱にその日その日の思い出の品を忍ばせることにしていました。マッチ箱ひとつひとつを開きながら、ひいおじいさんはその当時のことをひ孫に話して聞かせます。

オリーブの種が出て来れば、食べるものがなくて種をなめて空腹を癒したこと。初めて見た王冠。拾ったヘアピン。缶詰工場で働いた時の魚の骨。野球観戦のチケット。それぞれの少年の思い出には、移民としての社会的背景も重ね合わせて語られています。後に少年は字を覚えます。と同時にマッチ箱日記は終わります。でも、思い出は別の形で残されていきます。

この作品の細密な絵は、現在と過去をカラーと白黒で描き分けていて、まるで映画のようですし、なによりも小さな物が思い出を語るという、マッチ箱日記の発想が素晴らしい。高学年でも十分読み応えがあると思います。

今日の最後は、『もりのがっしょうだん』(教育画劇)です。

これは、絵本らしいというか、純粋に楽しい、可愛らしい、健全で良いお話という感じでしょうか。それぞれの学校から合唱団に選ばれた4匹の動物たちの物語です。初めての顔合わせ。お互いに、ウケ狙いのため、先生の悪口を言い合います。でも、本当は大好きな先生のことを悪く言ってしまったことに心を痛めて、自然のかみさまにお許しを乞います。気持ちがすっきりとしたところで、4匹は、無事に良い合唱をすることができました、という展開です。これも2~3年生ぐらいが一番頷きそうな内容で合いそうですが、小さい子でも楽しいと思います。絵は先ほどの飯野和好さんです。ながめるだけで元気が出る、そんなタッチです。

まだまだオススメ本がありますが、今日のところはこの辺で。

(Anne)

2017/08/31

この夏、ふと思い出した物語

この夏は、恒例のごとく山荘で過ごしましたが、なにせ雨続きでろくにアウトドアを楽しめなかったのが残念でした。でも、辛うじて日が差した日が1日だけあったので、その時ばかりは、喜び勇んで山登りに出かけました。

信州浅間山の隣にある、黒斑山という2404mに従姉、知人家族と共にチャレンジ。

日が差したとはいえ、山の方は足元が見えないほどではないにしろ、雲に覆われて景色を楽しむほどでもありませんでした。それでも山登りそのものは楽しいのでガシガシ登って、高山植物の鑑賞を堪能しながら山頂を目指しました。

途中の絶景スポット。てっぺんに立てば、快晴なら絶景が望めるはずなのですが、なにせこの天気。一面真っ白でした。でも、どうやら目下は断崖絶壁のよう。高所恐怖症の私は上まで行かず、先に進みました。

黒斑山の頂上に着きました。あたり雲に包まれて真っ白。何も見えなくて残念だね、と話していると、まさに天の恵みが!一瞬だけ、サッと雲が動いて視界が開けると、そこは、もう、本当に日本にこんな所があるものかと思うくらい美しい景色が広がりました。子供達は、これを、「絵本みたいー!」と表現していました。確かに、絵本にでてきそうな。

こちらは台湾のほうから2000キロも渡ってやってくるアサギマダラです。こんなにヒラヒラと儚そうに舞う蝶々が、これだけの距離を渡りきれるなんて、信じられないですね。渡り蝶オオカバマダラの壮大な冒険を描いた『旅する蝶』(新宮晋・著/文化出版局)という絵本を思い出しました。色のコントラストがはっきりしていて美しく、遠目にも映えるのでお話会や小学校の読み聞かせにもぴったりです。

さて、もうひとつ、この夏思い出した絵本です。

その前に、8月12日にアメリカ、ヴァージニア州で起きたニュースはご存知ですよね?反白人至上主義のデモに車が突っ込んで、被害者が出たというニュースに対して、政治家の対応がまた問題になって、論争が続いていますが。そもそも事の発端は、リー将軍の銅像撤去でしたよね。リー将軍は、南北戦争中に奴隷制の存続を支持した南軍のリーダーです。こんなものは取っ払いましょう、という市の計画に、人種差別主義者は反対し集まったため、それに対して抗議したデモでの事件でした。このニュースを追いながら、私はふと、『ヘンリー・ブラウンの誕生日』(エレン・レヴァイン作/カディール・ネルソン絵/鈴木出版)という絵本を思い出したわけなんです。

少し前のある日のことですが、図書館に出向くと絵本の棚に司書さんセレクトのこの絵本が立てかけてありました。遠目にもひときわ目を引く、大きな目の可愛い男の子の表紙に、私は即、飛びつきました。

『ヘンリーブラウンの誕生日』と和訳された題ですが、原題は『Henry’s Freedom Box』です。アフリカの愛らしい民族物語かと思えば、アメリカの奴隷の話でした。少年ヘンリーがいかにして人としての自由を得るかという話です。小さな少年は大人になり、数々の屈辱を経て、もはや人生の希望の灯火が消えかかったとき、道が開かれます。彼が考案した自由へのルート。それは、それは、壮絶。少しでも想像の余地があれば、その道のりがどんなに過酷だったかと感じると思いますが、それ以上に、奴隷の立場という、人権が尊重されない南部での暮らしは耐え難いものだったということが伝わって、ぞっとします。こういうテーマのものは、重々しく語られたり、偽善的だったり、説教くさいものもありまよね。でも、この作品のようにチーミングで軽いタッチの描きかただと、無駄に涙を誘わないので、より過去の事実に近づきやすくて、説得力があると私は思うんです。

8月12日のニュースで、むき出しの差別に不安が募る中、『ヘンリー・ブラウンの誕生日』を思い出して、過去からもっと学びたい気持ちになりました。

ちなみにこの作品、高学年の読み聞かせにぴったりだと思いますが、オールエイジにもオススメです。

(Anne)

2017/08/22

土用丑の日の鰻と天才

お盆も明けましたね。今年の夏はさほど暑くなく、しのぎやすい感がありますが、それでも暑い日には鰻を食べたくなりましたね。皆さんは、土用の丑の日に鰻を食べましたか?

焼き加減にも好みがそれぞれあるそうですが、私は割合と縁がガリッと焦げた感じが好み。今回食べた鰻の焼き加減は繊細で焦げは少なめ、タレも軽め、身がとてもふっくらと蒸し上がってましたが、焼いてくれたお兄さんのお顔を見ると、こちらもとても繊細な雰囲気。人柄というものは、焼き加減にも反映するもののような気がしました。それにしても、こんなに山椒をかける人、私だけでしょうか。

さて、この丑の日。鰻を食べたくなるのは、やはり、必要なものを自然に体が欲しているからなんだと勝手に納得していましたが、どうやら、手放しでそうとはいえないようですね。どちらかというと、300年前のキャッチコピーに翻弄されている節が。。。とはいえ、鰻はビタミンB類が多く含まれて滋養強壮に役立つ栄養価の高い食料だそうだから、夏バテに効くのは強ち嘘ではないものの、もとはといえば、夏の土用の日に鰻を食べる習慣なんてなかったそうですよ。ではいったい、いつからそうなったのか。周知のごとく有名な話ですが、私は知りませんでしたよ。あの、平賀源内が由来だなんて。江戸中期田沼沖次時代のこの人物は、発明家というぐらいしか記憶にありませんでしたが、調べてみるとユニークで魅力的な人柄の、なんでもできる大・大・大天才ではないですか!植物学者であり、医者であり、作家であり、画家であり、地質学者であり、発明家であり、、、もう、なんでも屋です。おまけにコピーライターです。「本日、土用丑の日」という看板を鰻屋の前に出させて繁盛させたというそうですから。以来、それが習慣として定着したというんです。

ともあれ源内に導かれてなのか、今年も美味しく丑の日に鰻をいただきましたが、ほどなくしてもう一人、天才を知ることになった夏でもありました。

というのも、先日、武田信玄と上杉謙信の一騎打ち像が見たいという目下歴史ブームのウチの子を連れて炎天下、長野県の川中島古戦場跡に行ったときのことです。パーキングに車を停めると、青々とした芝生広がる古戦場跡公園のド真ん中に、デンと立つ像が目に飛び込んできました。

さてこれはだれでしょう?

戦国武将の一人かと思って近づくと少し様子が違う。西洋風の顔立ちが印象的で、地球儀を脇に凛と立つ姿は、たとえ銅像とはいえ只者ならぬ存在感が感じられました。足元を見ると、佐久間象山、と記してあります。「さくま、、、??なんて読むのかしらね、ぞうさん??なーんちゃって、そんなわけないよねー」とぼやく私に、すかさず息子が正してくれました。

「さくましょうざん、だよ。ぞうざんとも言うけどね。松代藩の天才だよ。彫りの深い外国風の顔だよ。吉田松陰とかにも外国に行くようにオススメした人だよ。坂本龍馬にも外国のことを教えたよ。暗殺されたよ。享年54。」

8歳児の表現なので、こんな感じですが、私には分かりやすいです。

「藩ってことは、戦国時代の人じゃないってこと?」

川中島古戦場に来たわけだから、目にする銅像も戦国武将関係に違いないという思い込みから、こんな惚けた質問を投げかけると、「そうだよ、幕末だよ」とアッサリ。そのまま一騎打ちの像の方へスタスタと歩いて行ってしまいました。

というわけで、私は息子の愛読書も拝借して、今まで聞いたこともなかったこの人物を知ることになりました。こちら象山は、自然科学、医学、兵学、儒学など、東西問わずあらゆる面の知識人であり、発明家でもあり、教師でもあったという極めて博学、極めて頭脳明晰という天才。出身が松代藩なので、この古戦場に銅像が立っているというわけなのね、と納得しました。それにしても、佐久間象山を知らなかった私は教養不足なのかもしれませんが、ダ・ヴィンチも顔負けの天才が源内のみならず松代にもいたというのに、もっと歴史人物として有名でもよいのでは、と少し残念に思いました。でも象山のほうは、平賀源内の茶目っ気のようなものは、全く持ち合わせない高慢な男だったという説もあり、人気という物差しで測ると、2人には随分な差があるようですね。

(これがウチの子の愛読書。武将などの人物が、ほんとにぃ??っていうくらい全員イケメンに描かれているところ、ウケてしまいます。)

鰻のほうは、というと、夏が終わるまでにもう一回くらい食べたいものですね。はぁ~、鰻って本当に美味しい!!

(Anne)

2017/07/25

ただひとつのたからもの

こうも暑いと、人に会っても「こんにちは」を抜かして「暑いですね」が挨拶言葉になりますね。

いろいろな物を端折りたくなって、夏は何につけても簡略化するような気がします。

一番いい例が食べ物。冷たいキュウリを擦り下ろして鰹節とお醤油かけて、冷めたご飯にのせて食べるとか、お素麺を茹でて、茗荷を刻んで、つゆにサッと付けて食べるだけのお昼ご飯とか。最近では茹でなくても良い麺もありますね。端折る夏には重宝します。

というわけで、絵本も文字量がぐっと少ないすっきりとしたもので暑さをしのぎたくなりました。と、こじつけてみましたが、シンプルで素敵なお話2冊です。とはいえ文字量をよそに内容の方は、それはそれは深いです。大人でないと理解できないかもしれない程、重厚感あるメッセージです。絵の美しさにもうっとりします。そもそも私は、絵本は芸術作品としても引けを取らない、タッチの美しいものでないと子供の目に触れさせたくないな、と思っています。イイものを見せようと思っても、小さい子供を美術館に引っ張っていくのは難しい。でも家に居ながら、繊細で奥行きのある美意識を養うには絵本が一番手っ取り早いと思います。幼いころに培った感覚は一生残る筈。

さて、まず『たからもの』(ユリ・シュルヴィッツ作/偕成社)です。

これはあの極めて静寂で美しい絵本、『よあけ』の作者です。本作品では絵本界の勲章とも言えるコールデコット賞を受賞しています。夢のおつげに従い、宝物探しに出かけたとある男が、行った先で本当のありかを伝えられ、我が家に戻るといった、まるで『青い鳥』を凝縮したような物語です。

「もりをぬけ」

「やまをこえ」

苦味走る絵のタッチと寡黙なまでの文で広がる世界観が、カッコイイ程素敵です。

旅のあとにこの男は気づきます。幸せはすぐそばにある。回り道は無駄足ではない。それに気づけば、あとは心穏やかに過ごせるというメッセージは、まるで悟りを得るような落ち着きを心に宿してくれる、そんな作品です。子供は、もちろんそのような読解はできませんが、この作品を通じて、どこか不思議な静けさを心に刻んでいてくれれば、それでいいな、と思ってます。

次に『ひとつ』(マーク・ハーシュマン作/バーバラ・ガリソン絵/福音館書店)。

これは、数字の概念を表現した科学系の内容ですが、とてもそうとは思えないノスタルジックなタッチの絵で表現されているのが魅力です。1という数はどういうものなのか。とても小さい数でありながらとても大きな数。そんな1の解釈が面白く、数字嫌いもすんなり数の虜になりそうです。谷川俊太郎さんの訳も素晴らしい。英語でoneのところを、ひとり、いちまい、いっぽん、など、ややこしい日本語の数え方に置き換えても詩的に聞こえます。たとえば、こうです。

「たねは500こあるかもしれない でもかぼちゃは1こ」。

「せんしゅが9にん チームは1つ」。

「まめが7つぶ はいってる 1つのさやに」。

原文はどう表現されてるのかも気になるくらい、なんども読み返したくなります。こうして9、8、7、6、5、、、、とページをめくるごとに数が少なくなりつつ、最後は1つで1つの、スケールの大きなものが登場します。

「でもさいこうの1は ひとりっきゃいないぼく ひとりっきゃいないきみ」。

考え方の違う人、言葉の違う人、見た目の違う人、明白になにかに貢献している人、一見役にたっていなそうな人、頑張っている人、のんびりな人、どの人もみんなひとつしかない大切な存在です。一部の人の存在が無駄だと思われたり、人目を避けて暮らさなければいけない社会はおかしい。様々な人が隣り合わせに暮らして、それぞれが違う「ただひとつのたからもの」という認識を自然に得れる環境づくりが必要ではないでしょうか。

すべて、ただひとつのたからもの。人も、野生動物も、家畜も、番犬も、猫の手もかしてくれないウチの猫も、、、。

(Anne)

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