2017/10/15NEW

いきもののはなし

動物園に行くことはありますか?あんがい、けっこう、いえ、ものすごく、楽しいと思いませんか?

私は昔、家族に連れられて、または遠足で行った覚えがあります。でも当時はあまり動物に興味がなかったうえに、人だかりの中、なんとか頑張って柵に近付けたとしても、動物は遠く、少ししか、あるいはガラス越しにしか見れなくて、行くたびにがっかりしていた記憶があります。家で動物図鑑を眺めている方がまだ面白いと。野山などで空想に浸ってお姫様ごっこをしてる方が断然楽しいと、そんなふうに思っていた子供時代でした。でも、今度は自分が子どもを持つようになると、動物園は避けられないお出かけスポット。連れていかなくてはという責任感で、再び、でもしぶしぶ、行くことになりました。それが数年前。

しかし昔の私は何処へやら。行けばどの子どもよりもはしゃいでいたのは、まぎれもなく私だったようです。今では年に数回行く程の動物園好きになりました。ありきたりな表現ですが、本当に生き物って面白いです。そして、不思議。さらに、なんといっても可愛い。

というわけで、先日もズーラシアで楽しんできたところです。

ズーラシアにもいますが、私が最近興味を持っているのはリカオンです。動物は、トラやヒョウ、それにシマウマやキリンのように美しい幾何学的な模様をまとっているもの、というイメージがありました。体の一部にだけに幾何学的模様のあるオカピのような動物もいますね。あとは、まるで太極図のようなマレーバクの体色も感動的です。月夜でのカムフラージュはお手の物だろうなと関心します。でも、リカオンは違いました。初めて見た時、「デタラメ」と表現したくなるほど不規則なまだら模様は、あまり美しいと思いませんでした。でもよく見ると、身体つきはけっこう華奢で弱そうです。聞けばサバンナの肉食動物の中では立場が低めだそうです。でも知能派。仲間との団結力が強く、狩りの戦略は真田軍顔負けと思うほど巧みです。しかも獲物を見つけたらしつこい位、どこまでも、どこまでも、追う。命中率は80パーセント。ライオンの3〜4倍ですもの。その様子をドキュメンタリーなどで観ると圧倒されますが、獲物を捕まえた直後の様子は正直あまり見たくないですね。気になる独特な模様はというと、実は人間の指紋のようなもので一匹一匹違うのだそうです。当初奇妙な柄と思いましたが、いろいろと見聞きしているうちに、リカオンの魅力に気付かされたというわけです。(ズーラシアでは、うっかりリカオンの写真を撮り損ねてしまいました!)ともあれ、動物の生態はまだまだ謎も多いそうですね。知られざる動物世界に惹きつけられます。

そんな動物たちの魅力を素晴らしいデッサン力で表現した絵本作家がいます。吉田遠志さんです。木版画作家としても有名ですが、「自然や動物を愛する心は、幼い時から養われねばならない」と作者が強い思いを込めて、『絵本 アフリカのどうぶつたち』(リブリオ出版)というシリーズを制作しました。

全17巻にも及ぶこのシリーズは、どれもサバンナの光や風、動物たちの生き様や躍動感が押し寄せてくるような、力強さがあります。具材は水彩と色鉛筆なのでしょうか、タッチはとても繊細なのに。

遠目にも映えるのでお話会でも使えると思います。内容も深く、象がお葬式をするという実話に基づいた『かれえだ』という題の一冊では、象牙の密猟を彷彿とさせるシーンもあり、また、『おもいで』ではサバクトビバッタの蝗害を描いたシーンがあったりと、世界情勢に関心を持ち始める高学年にも十分合うと思います。中学生でも読み応えあるかもしれません。このシリーズの第1集は『ライオンのかぞく』というテーマで全7冊から成り立ってます。『はじめてのかり』、『ありづか』などのお話があり、一話一話お話は完結していますが、7冊を通してライオンのサバイバル物語にも発展していきます。

第2集は『ゾウのかぞく』というテーマ。『かれえだ』や『おもいで』といったお話はここに含まれます。そして『草原のなかま』という第3集へと続きます。この三部作は、それぞれに繋がりを持ち、物語が絡み合って、壮大なサバンナの自然が読者の心に広がる展開になっています。

ちなみに、リカオンが主役の一冊もあります。

第1集『ライオンのかぞく』の中の一冊、『おみやげ』です。素晴らしい狩りの戦略も描かれていますし、その「おみやげ」が何かというのにも驚きます。後書きも逃せませんよ。お楽しみに。

ただ、あろうことか、このシリーズは絶版です。中古も、状態が良いものは高額がついているのもあり、全シリーズ購入したくても、あきらめる他ありません。幸い、図書館で借りれますが、できればずっと家に置いて何度も読みたい、そんな作品ですね。こういうシリーズこそ複刻の価値があると思います。是非、複刻して欲しいです。

(Anne)

2017/09/30

朝の一茶

皆さんの朝食にも、毎日必ず登場する定番があると思います。

パン派の人、納豆ご飯でなきゃという人、コーヒーなのか紅茶なのか、最近はスムーシーという人もいるでしょうね。

私は基本、丼いっぱいぐらいの大量の濃いミルクティーを飲みます。そうでないと一日が始まらないタイプですが、今年の夏頃からでしょうか、暑さに負けてミルクティーもヘビーになり、この頃は緑茶を淹れる毎日が続いています。好みはガツンとした茎茶です。

ある朝も、もはや黄土色といえるぐらい濃く淹れた茎茶で、さて一服、というとき。座った場所は、ソファーの片隅で、息子が毎朝読書をする指定席でした。肘掛には案の定、絵本やら児童書やらが無造作に山積みになっています。これをどう片付けようかとやれやれしていると、最近購入した一冊が目にとまりました。

『蛙となれよ冷やし瓜』(岩波書店)という、新刊ではありませんが、最近の絵本です。面白いのは、小林一茶の俳句を絵本にしたところもしかりですが、なによりもアメリカで出版された『Cool Melons-Turn to Frogs!』という絵本を翻訳したもので、一茶の逆輸入だというところです。作者はマシュー・ゴラブさんという絵本作家の方のようです(以前は日本で広告関係のお仕事をされていた?ようですが)。絵のほうは、カズコ・G・ストーンさんで、『やなぎむらのおはなし』シリーズは絵本好きには有名です。小さな虫たちの小さな世界に目を向けたとても楽しいユニークなシリーズですが、この方以上に一茶の世界を描ける作家がいるかしら、と思うくらい適役だと思いました。

まあ、そういう絵本なのですが、最近息子が俳句に興味を持ったので、シメタ、と思って俳句関係の本を何冊か揃えておいたうちの一冊です。でも、どうやら、まだ読んでいな様子。それでは、茎茶片手に朝の一茶でも、と私が手に取ってみました。

結果、号泣。

早朝から号泣なんてあまり聞かないですよね。でももっと驚いたのは、俳句でこんなに泣ける、というところです。俳句というのは、しみじみ良い、感動がじんわり、ほっこりした気持ちに、というような感情が生まれる表現方法だと思っていましたが、号泣です。映画館で感動作を観たときのような。俳句で、です。

これは、この絵本の作りが素晴らしく一茶の心に寄り添うように作られているからだと思いました。

俳人の生涯を追いながら、節目節目で俳句を紹介していき、そこには原作にあるオリジナル英訳と、その英訳をさらに和訳したもの、とが並んでいて、一句一句をさまざまな角度から、読むこと(俳句の場合、見ること、感じること、という方がふさわしいと思いますが)ができて、一茶の世界観が開花するような感覚を覚えます。どれだけちいさき、はかなき命に目を向けていたか。命とは呼べないようなものにも命を宿す、内向的な慈しみ深さに、ただ、ただ、涙が出てきました。

極みは、題名にもあるのこの句です。

「人来たら蛙となれよ冷し瓜」(英訳の和訳は「やい、冷し瓜やい もしだれか来たら 蛙に化けろよ」とあります。)

瓜が冷やしてある。そのうち誰かに食われてしまうんだな。かわいそうに。人が来たら蛙になって逃げるんだぞ。という内容ですが、今でいうと、きゅうりを見て食べられちゃうからかわいそうと思うということです。ふつう、かわいそう、なんて思いませんよね??一茶が数々の困難や悲しみを乗り越えたのちに生まれた、一句です。

ちなみに、アメリカではハイクはスシと同じぐらい親しみのある言葉だそうで、小学校では音韻をふんだ詩、ハイクを作る国語(英語ですが)の時間があるそうで、文化の輸出入って面白いですね。

小林一茶ってどんな人だっけと思っても、忙しくてなかなか本を読めない方に是非。絵本ですが、入門書として手にとっていただきたいものです。

(Anne)

2017/09/21

絵本熱、37度8分

私の絵本熱は37度8分。他のことが全くできないほどではありませんが、できれば絵本というベットでじっとしていたいという具合です。とにかく、あまりにもたくさんの素敵な絵本があって、どれもこれも紹介したいのですが、どれを紹介しようかとか、テーマはなににしようかとか、そもそもこういう話題に興味を持つ人がいるのだろうかとか、あれこれ考えていると日が経ってしまって、日が経てば経つほど、はたまた良い絵本に出会って、紹介したい作品が、じゃんじゃん、じゃんじゃん、増えてしまう、といったこの頃です。

絵本は、文がなければ絵画だし、絵がなければ文学ですから、絵と文の機織り物のようなもの。独特の凝縮された魅力があると思うのです。

というわけで、もう、あれこれ考えても仕方がないので、えいや!

今回は、ただただ、ランダムに最近のお気に入りの絵本をご紹介しますね。

地域小学校の2学期が始まって最初のお話会に使った絵本は『かぞえる』(復刊ドットコム)。

2年生に読みました。作者はもともとテレビアナウンサーだった楠田絵里子さんです。この方の、科学に詳しく、好奇心旺盛で多趣味、探究心と行動力がずば抜けているところに、昔、憧れていました。舞踏家で演出家のピナ・バウシュの熱烈なファンとしても知られていて、国内外かまわず公演があると聞くとすっ飛んで行っていた時期もあったそうですよね。同じピナファンとして、羨ましかったです。『ピナ・バウシュ中毒』というエッセーも出ています。この度、絵本も書かれているんだと知って、はたまた羨ましいと思った以上に、思いがけない媒体で楠田絵里子さんを再発見したのが嬉しかったというわけです。絵の方は、これまたエネルギッシュでユニークな画風の飯野和好さんです。構図がとにかく素晴らしい。

肝心の物語はというと、二人の男の子が、数を競い合うことから始まります。

いくつまで数えられるか、アイスはいくつ食べたか、家族は何人いるか、とか。そうこうしているうちに取っ組み合いになります。数が多ければそれでいいのかな?という問いかけがあり、徐々に数について考えてゆきます。数えられるもの、数えられないもの、いろいろな数え方があったり。

パプアニューギニアの数え方も紹介されていますが、きっとみなさん驚くでしょう。そして、数ばかり競い合ってると、、、ミサイルの数も増えていって、、、。という展開です。主人公の設定は5歳児ですが、中学年ぐらいの友情も感じられるので、もしかすると平和についての思考力が深まる3~4年生ぐらい最適なのかもしれませんね。

次に『マッチ箱日記』(BL出版)。

あまりに発想が豊かで素晴らしいので、ひとりで読み終えたあと、作者の名前を確認したら、なるほど、納得。あの傑作、『ウェズレーの国』の作者、ポール・フライシュマンでした。物語は、イタリア系のひいおじいさんがひ孫に、貧しかった少年時代とアメリカ移住の経験を語るものです。

学校に通えず、字も書けなかった少年だったわけですが、日記を書く代わりに、マッチ箱にその日その日の思い出の品を忍ばせることにしていました。マッチ箱ひとつひとつを開きながら、ひいおじいさんはその当時のことをひ孫に話して聞かせます。

オリーブの種が出て来れば、食べるものがなくて種をなめて空腹を癒したこと。初めて見た王冠。拾ったヘアピン。缶詰工場で働いた時の魚の骨。野球観戦のチケット。それぞれの少年の思い出には、移民としての社会的背景も重ね合わせて語られています。後に少年は字を覚えます。と同時にマッチ箱日記は終わります。でも、思い出は別の形で残されていきます。

この作品の細密な絵は、現在と過去をカラーと白黒で描き分けていて、まるで映画のようですし、なによりも小さな物が思い出を語るという、マッチ箱日記の発想が素晴らしい。高学年でも十分読み応えがあると思います。

今日の最後は、『もりのがっしょうだん』(教育画劇)です。

これは、絵本らしいというか、純粋に楽しい、可愛らしい、健全で良いお話という感じでしょうか。それぞれの学校から合唱団に選ばれた4匹の動物たちの物語です。初めての顔合わせ。お互いに、ウケ狙いのため、先生の悪口を言い合います。でも、本当は大好きな先生のことを悪く言ってしまったことに心を痛めて、自然のかみさまにお許しを乞います。気持ちがすっきりとしたところで、4匹は、無事に良い合唱をすることができました、という展開です。これも2~3年生ぐらいが一番頷きそうな内容で合いそうですが、小さい子でも楽しいと思います。絵は先ほどの飯野和好さんです。ながめるだけで元気が出る、そんなタッチです。

まだまだオススメ本がありますが、今日のところはこの辺で。

(Anne)

2017/08/31

この夏、ふと思い出した物語

この夏は、恒例のごとく山荘で過ごしましたが、なにせ雨続きでろくにアウトドアを楽しめなかったのが残念でした。でも、辛うじて日が差した日が1日だけあったので、その時ばかりは、喜び勇んで山登りに出かけました。

信州浅間山の隣にある、黒斑山という2404mに従姉、知人家族と共にチャレンジ。

日が差したとはいえ、山の方は足元が見えないほどではないにしろ、雲に覆われて景色を楽しむほどでもありませんでした。それでも山登りそのものは楽しいのでガシガシ登って、高山植物の鑑賞を堪能しながら山頂を目指しました。

途中の絶景スポット。てっぺんに立てば、快晴なら絶景が望めるはずなのですが、なにせこの天気。一面真っ白でした。でも、どうやら目下は断崖絶壁のよう。高所恐怖症の私は上まで行かず、先に進みました。

黒斑山の頂上に着きました。あたり雲に包まれて真っ白。何も見えなくて残念だね、と話していると、まさに天の恵みが!一瞬だけ、サッと雲が動いて視界が開けると、そこは、もう、本当に日本にこんな所があるものかと思うくらい美しい景色が広がりました。子供達は、これを、「絵本みたいー!」と表現していました。確かに、絵本にでてきそうな。

こちらは台湾のほうから2000キロも渡ってやってくるアサギマダラです。こんなにヒラヒラと儚そうに舞う蝶々が、これだけの距離を渡りきれるなんて、信じられないですね。渡り蝶オオカバマダラの壮大な冒険を描いた『旅する蝶』(新宮晋・著/文化出版局)という絵本を思い出しました。色のコントラストがはっきりしていて美しく、遠目にも映えるのでお話会や小学校の読み聞かせにもぴったりです。

さて、もうひとつ、この夏思い出した絵本です。

その前に、8月12日にアメリカ、ヴァージニア州で起きたニュースはご存知ですよね?反白人至上主義のデモに車が突っ込んで、被害者が出たというニュースに対して、政治家の対応がまた問題になって、論争が続いていますが。そもそも事の発端は、リー将軍の銅像撤去でしたよね。リー将軍は、南北戦争中に奴隷制の存続を支持した南軍のリーダーです。こんなものは取っ払いましょう、という市の計画に、人種差別主義者は反対し集まったため、それに対して抗議したデモでの事件でした。このニュースを追いながら、私はふと、『ヘンリー・ブラウンの誕生日』(エレン・レヴァイン作/カディール・ネルソン絵/鈴木出版)という絵本を思い出したわけなんです。

少し前のある日のことですが、図書館に出向くと絵本の棚に司書さんセレクトのこの絵本が立てかけてありました。遠目にもひときわ目を引く、大きな目の可愛い男の子の表紙に、私は即、飛びつきました。

『ヘンリーブラウンの誕生日』と和訳された題ですが、原題は『Henry’s Freedom Box』です。アフリカの愛らしい民族物語かと思えば、アメリカの奴隷の話でした。少年ヘンリーがいかにして人としての自由を得るかという話です。小さな少年は大人になり、数々の屈辱を経て、もはや人生の希望の灯火が消えかかったとき、道が開かれます。彼が考案した自由へのルート。それは、それは、壮絶。少しでも想像の余地があれば、その道のりがどんなに過酷だったかと感じると思いますが、それ以上に、奴隷の立場という、人権が尊重されない南部での暮らしは耐え難いものだったということが伝わって、ぞっとします。こういうテーマのものは、重々しく語られたり、偽善的だったり、説教くさいものもありまよね。でも、この作品のようにチーミングで軽いタッチの描きかただと、無駄に涙を誘わないので、より過去の事実に近づきやすくて、説得力があると私は思うんです。

8月12日のニュースで、むき出しの差別に不安が募る中、『ヘンリー・ブラウンの誕生日』を思い出して、過去からもっと学びたい気持ちになりました。

ちなみにこの作品、高学年の読み聞かせにぴったりだと思いますが、オールエイジにもオススメです。

(Anne)

2017/08/22

土用丑の日の鰻と天才

お盆も明けましたね。今年の夏はさほど暑くなく、しのぎやすい感がありますが、それでも暑い日には鰻を食べたくなりましたね。皆さんは、土用の丑の日に鰻を食べましたか?

焼き加減にも好みがそれぞれあるそうですが、私は割合と縁がガリッと焦げた感じが好み。今回食べた鰻の焼き加減は繊細で焦げは少なめ、タレも軽め、身がとてもふっくらと蒸し上がってましたが、焼いてくれたお兄さんのお顔を見ると、こちらもとても繊細な雰囲気。人柄というものは、焼き加減にも反映するもののような気がしました。それにしても、こんなに山椒をかける人、私だけでしょうか。

さて、この丑の日。鰻を食べたくなるのは、やはり、必要なものを自然に体が欲しているからなんだと勝手に納得していましたが、どうやら、手放しでそうとはいえないようですね。どちらかというと、300年前のキャッチコピーに翻弄されている節が。。。とはいえ、鰻はビタミンB類が多く含まれて滋養強壮に役立つ栄養価の高い食料だそうだから、夏バテに効くのは強ち嘘ではないものの、もとはといえば、夏の土用の日に鰻を食べる習慣なんてなかったそうですよ。ではいったい、いつからそうなったのか。周知のごとく有名な話ですが、私は知りませんでしたよ。あの、平賀源内が由来だなんて。江戸中期田沼沖次時代のこの人物は、発明家というぐらいしか記憶にありませんでしたが、調べてみるとユニークで魅力的な人柄の、なんでもできる大・大・大天才ではないですか!植物学者であり、医者であり、作家であり、画家であり、地質学者であり、発明家であり、、、もう、なんでも屋です。おまけにコピーライターです。「本日、土用丑の日」という看板を鰻屋の前に出させて繁盛させたというそうですから。以来、それが習慣として定着したというんです。

ともあれ源内に導かれてなのか、今年も美味しく丑の日に鰻をいただきましたが、ほどなくしてもう一人、天才を知ることになった夏でもありました。

というのも、先日、武田信玄と上杉謙信の一騎打ち像が見たいという目下歴史ブームのウチの子を連れて炎天下、長野県の川中島古戦場跡に行ったときのことです。パーキングに車を停めると、青々とした芝生広がる古戦場跡公園のド真ん中に、デンと立つ像が目に飛び込んできました。

さてこれはだれでしょう?

戦国武将の一人かと思って近づくと少し様子が違う。西洋風の顔立ちが印象的で、地球儀を脇に凛と立つ姿は、たとえ銅像とはいえ只者ならぬ存在感が感じられました。足元を見ると、佐久間象山、と記してあります。「さくま、、、??なんて読むのかしらね、ぞうさん??なーんちゃって、そんなわけないよねー」とぼやく私に、すかさず息子が正してくれました。

「さくましょうざん、だよ。ぞうざんとも言うけどね。松代藩の天才だよ。彫りの深い外国風の顔だよ。吉田松陰とかにも外国に行くようにオススメした人だよ。坂本龍馬にも外国のことを教えたよ。暗殺されたよ。享年54。」

8歳児の表現なので、こんな感じですが、私には分かりやすいです。

「藩ってことは、戦国時代の人じゃないってこと?」

川中島古戦場に来たわけだから、目にする銅像も戦国武将関係に違いないという思い込みから、こんな惚けた質問を投げかけると、「そうだよ、幕末だよ」とアッサリ。そのまま一騎打ちの像の方へスタスタと歩いて行ってしまいました。

というわけで、私は息子の愛読書も拝借して、今まで聞いたこともなかったこの人物を知ることになりました。こちら象山は、自然科学、医学、兵学、儒学など、東西問わずあらゆる面の知識人であり、発明家でもあり、教師でもあったという極めて博学、極めて頭脳明晰という天才。出身が松代藩なので、この古戦場に銅像が立っているというわけなのね、と納得しました。それにしても、佐久間象山を知らなかった私は教養不足なのかもしれませんが、ダ・ヴィンチも顔負けの天才が源内のみならず松代にもいたというのに、もっと歴史人物として有名でもよいのでは、と少し残念に思いました。でも象山のほうは、平賀源内の茶目っ気のようなものは、全く持ち合わせない高慢な男だったという説もあり、人気という物差しで測ると、2人には随分な差があるようですね。

(これがウチの子の愛読書。武将などの人物が、ほんとにぃ??っていうくらい全員イケメンに描かれているところ、ウケてしまいます。)

鰻のほうは、というと、夏が終わるまでにもう一回くらい食べたいものですね。はぁ~、鰻って本当に美味しい!!

(Anne)

2017/07/25

ただひとつのたからもの

こうも暑いと、人に会っても「こんにちは」を抜かして「暑いですね」が挨拶言葉になりますね。

いろいろな物を端折りたくなって、夏は何につけても簡略化するような気がします。

一番いい例が食べ物。冷たいキュウリを擦り下ろして鰹節とお醤油かけて、冷めたご飯にのせて食べるとか、お素麺を茹でて、茗荷を刻んで、つゆにサッと付けて食べるだけのお昼ご飯とか。最近では茹でなくても良い麺もありますね。端折る夏には重宝します。

というわけで、絵本も文字量がぐっと少ないすっきりとしたもので暑さをしのぎたくなりました。と、こじつけてみましたが、シンプルで素敵なお話2冊です。とはいえ文字量をよそに内容の方は、それはそれは深いです。大人でないと理解できないかもしれない程、重厚感あるメッセージです。絵の美しさにもうっとりします。そもそも私は、絵本は芸術作品としても引けを取らない、タッチの美しいものでないと子供の目に触れさせたくないな、と思っています。イイものを見せようと思っても、小さい子供を美術館に引っ張っていくのは難しい。でも家に居ながら、繊細で奥行きのある美意識を養うには絵本が一番手っ取り早いと思います。幼いころに培った感覚は一生残る筈。

さて、まず『たからもの』(ユリ・シュルヴィッツ作/偕成社)です。

これはあの極めて静寂で美しい絵本、『よあけ』の作者です。本作品では絵本界の勲章とも言えるコールデコット賞を受賞しています。夢のおつげに従い、宝物探しに出かけたとある男が、行った先で本当のありかを伝えられ、我が家に戻るといった、まるで『青い鳥』を凝縮したような物語です。

「もりをぬけ」

「やまをこえ」

苦味走る絵のタッチと寡黙なまでの文で広がる世界観が、カッコイイ程素敵です。

旅のあとにこの男は気づきます。幸せはすぐそばにある。回り道は無駄足ではない。それに気づけば、あとは心穏やかに過ごせるというメッセージは、まるで悟りを得るような落ち着きを心に宿してくれる、そんな作品です。子供は、もちろんそのような読解はできませんが、この作品を通じて、どこか不思議な静けさを心に刻んでいてくれれば、それでいいな、と思ってます。

次に『ひとつ』(マーク・ハーシュマン作/バーバラ・ガリソン絵/福音館書店)。

これは、数字の概念を表現した科学系の内容ですが、とてもそうとは思えないノスタルジックなタッチの絵で表現されているのが魅力です。1という数はどういうものなのか。とても小さい数でありながらとても大きな数。そんな1の解釈が面白く、数字嫌いもすんなり数の虜になりそうです。谷川俊太郎さんの訳も素晴らしい。英語でoneのところを、ひとり、いちまい、いっぽん、など、ややこしい日本語の数え方に置き換えても詩的に聞こえます。たとえば、こうです。

「たねは500こあるかもしれない でもかぼちゃは1こ」。

「せんしゅが9にん チームは1つ」。

「まめが7つぶ はいってる 1つのさやに」。

原文はどう表現されてるのかも気になるくらい、なんども読み返したくなります。こうして9、8、7、6、5、、、、とページをめくるごとに数が少なくなりつつ、最後は1つで1つの、スケールの大きなものが登場します。

「でもさいこうの1は ひとりっきゃいないぼく ひとりっきゃいないきみ」。

考え方の違う人、言葉の違う人、見た目の違う人、明白になにかに貢献している人、一見役にたっていなそうな人、頑張っている人、のんびりな人、どの人もみんなひとつしかない大切な存在です。一部の人の存在が無駄だと思われたり、人目を避けて暮らさなければいけない社会はおかしい。様々な人が隣り合わせに暮らして、それぞれが違う「ただひとつのたからもの」という認識を自然に得れる環境づくりが必要ではないでしょうか。

すべて、ただひとつのたからもの。人も、野生動物も、家畜も、番犬も、猫の手もかしてくれないウチの猫も、、、。

(Anne)

2017/07/15

スカンジナビア・デザインが?

写真を撮るのが苦手な私ですが、植物だけはフォトジェニックなので、私が撮ってもなんとか見るに堪える仕上がりになるようです。なので、今日もお花を撮ってアップしてみました。とはいえゴーヤの花ですから地味です。でも、葉や蔓の部分は形が面白い。葉と花の間に変な葉っぱのようなものがあるんですね。こんなデザインの植物だとは知りませんでした。

というわけで、とうとうゴーヤの季節!夏になりましたね!

気温も30度超えになると、私は伊豆の海にひとっ飛びしてきたくなります。けたたましい蝉の鳴き声を背後に、ビーチサイドで波の数を数えながら、ヘミングウェイの『老人と海』を思い出すというのが私の夏に欲しいひととき。今年も実現させたいところですが、それはさておき先日の話の続きです。

『北欧女子オーサが見つけた日本のふしぎ』を読んで、とても印象的だった見開きページがこれです。

オーサの母国スウェーデンは、日本ではどんな印象があるのかというこの見開きページですが、私がとにかく驚いた内容は、まず左から。

スウェーデンといえばIKEAだけど、日本でも家具はやっぱりIKEAで買うのかと質問する友人に対して、オーサの返事は、IKEAに行く目的は家具ではなく食品売り場だと4コマ内で答えます。その横にオーサのコメントがあります。「日本ではスカンジナビア家具は有名だけど、個人的には、、、つまらないよ!」と。え!スカンジナビア・デザインがつまらないですと??

北欧ではどこにでもある平凡なデザイン、ということなのでしょうか。私にしてみれば、人気の家具ということはもとより、子供の頃我が家にあった、アルネ・ヤコブセンやハンス・J・ウェグナーの家具、アラビアの食器、マリメッコのテキスタイルなどのデザインは、単なる「好き」を超えた懐かしさや、親しんできたという安心感もあるので思い入れも深く、まさか「つまらない」と形容されるものとは想像もしてませんでした。では逆にスウェーデンの人にとって素敵なデザインとはどんなものなのでしょうね?日本のものなら例えば鎌倉彫りとか、会津塗りとか、あるいは炬燵とか、そういった伝統工芸品のような物でしょうか、それとも日本のテクノロジーを駆使した電化製品のハイテク・デザインでしょうか。何れにしても、私は、北欧デザインも日本の伝統工芸も、どちらも好きですけれど。

次に、右のページにはこんなことが書かれていました。オーサが説明するスウェーデンの特徴は、男女平等、多文化社会、コーヒーを飲む文化、そして最後に「『ちょうどいい』が認められる国」とあります。なんでもほどほどにが良いそうで、例えば牛乳ひとつにしても脂肪分が中くらいのものが人気だとか、オシャレしすぎるのは白い目で見られるだとか。とにかく「ほどほど」でないものは、厳しく批判されるそうです。これには本当に驚きました。同じ欧州でも、北欧とフランスやイタリアなどのラテンヨーロッパとでは随分と違うものだと。

少なくともフランスでは逆です。まず、オシャレに関しては、ブランドものや高級品を身につけることは評価の対象になりにくいですが、どこまでセンスを研ぎ澄まして、スタイリッシュになるか、というところは大切で、エキセントリックであればまず一目置かれます。それは、すなわち個性があるということ。自分の考えや主張がきちんとあるということの表れで、フランス社会で一番重視されることだと思います。それこそ、「ほどほどな」着こなしや考え、どっちつかずの中立的な立ち位置などをアピールすれば、中途半端で勇気がない人とみなされ、非常にカッコ悪く、嘲笑されるどころか、魅力がないので相手にもされません。人とは違う個々の個性が尊重されるフランスのような文化では、ほどほど、そこそこ、無難なもの、それらはすべて平凡に映り、悪とみなされる、と言っても過言ではないかもしれません。ただ、これ、フランス内でも、家庭や職場など環境によっては多少の温度差があるかもしれませんね。たとえば保守的な環境だと、やはり少しは「ほどほど」を大切にしていると思います。

私が好きなa-haも、おとなりのノルウェーだけあって、確かに尖っていないというか、やりすぎない感じがありますね。若い頃は物足りなく感じたこの特徴も、40も半ば過ぎると心地良い。丁度、締め付けがなく、ゆったりとした服が着たくなってくるのと同じです。

というわけで、『北欧女子オーサがみつけた日本の不思議』、漫画なので構えずに済みますし、色々な発見があるのでよかったら読んでみてくださいね。

(Anne)

2017/06/30

紙媒体がちょうどいい

鬱陶しい季節ですが、この時期の楽しみは紫陽花です。

雨に濡れて生き生きとしている近所の紫陽花。見かけると元気になります。

さて、ふと思うのでが、スマホの存在は偉大ですね。今まで、肌身離さずにいたお財布だって、もはや貴重なのかあやしくなってきました。スマホに比べれば忘れられた存在も同然。機械オンチの私とて、不思議とスマホさえあればという安心感が頭のどこかに潜んでいて、昨日もその安心感にまんまとしてやられてしまいました。(しかも、これ、初めてではありません。)

昨日はというと、小包を送ろうと郵便局へ行きました。カウンターで荷物を測ってもらい、いざ支払おうとしたときです。ふと、バックを覗き込むと携帯しか入っていません!肝心のお財布はどこへやら。郵便局さんは、文字通りの(ー ー;)こんな顔になり、私は赤面。家までひとっ走りしてお財布を取りに帰りました。ほんと、やれやれ、です。

コンビニに行っても、タクシーに乗っても、スーパーに行っても、「上の空」な私ですので、こんなことは困ったことに度々ありますが、みなさんはそんな経験ないですか?

その代わりというのも変ですが、バックには必ず、お財布携帯にもしていないスマホが堂々と入っているのですから、今時の携帯電話の存在って偉大だなあと、改めて感心してしまったわけです。

だいたい、電車の中や病院の待合室は、多くが雑誌や新聞や小説片手に時間潰ししていた昔と比べると、もはや今は片手にスマホという光景ですよね。たまに本を読んでる人がいると、「本当に本が好きなんですね」と親近感が湧きます。もっとも、私が本が好きというのは、読む事が好きという以上に、紙媒体そのもの、あの、紙質とか装丁とかページをめくる感覚とか、チカチカ光ってないので疲れないといった、物質的なところに惹かれてということなのですが。というわけで、例えば病院の待合室のような暇をつぶさなくてはならない場で、私もみんなと同じようにスマホでニュースやメールチェックしたりしますが、やはり紙媒体好きの私。紙媒体がちょうどいい。おつかい現場では「お財布より大事」なスマホも、暇つぶし現場では脇役となるわけです。

そこで最近、私の暇つぶし現場で主役になったのは、こんな書籍です。

左:『ニッポン在住ハーフな私の100のモンダイ』(原作サンドラ・ヘフェリン/メディアファクトリー)。

右:『北欧女子オーサが見つけた日本の不思議』(作オーサ・イェークストロム)。

どちらも漫画で、国際感覚を持ち合わせた欧州系の女子トークが炸裂する、視点がとてもユニークな作品です。前者の原作者は日独ハーフ(もしかして私と同じ年?)で、ハーフならではの自虐ネタに、私も1コマ1コマ共感のオンパレードでした。後者の作者はスウェーデン出身で、アニメオタク。母国でも出版経験もある漫画家です。その自称「北欧女子」から見た日本の様々な魅力や不思議な事柄を、四コマ漫画でチャーミングに描いているのですが、それだけではなくて、読めば日本文化の良さを逆輸入するような、ちょっとした面白ガイドブックなのです。ほかにも、日本旅行記をテーマにしたり、新聞にも連載したり、いろいろなレアな経験をしたり、作者の行動力にも驚かされますよ。

ただこういう読み物は、時々、ブッと吹き出してしまうので、要注意ですね。

というわけで、今日はこれにて。(この、『北欧女子オーサが見つけた日本の不思議』で、まさに目から鱗が落ちたワンシーンがあったので、それはまた後日お話ししますね。)

Anne

2017/06/16

こんな活動をしています

私の絵本好きが高じて、最近では地域の読み聞かせ活動も積極的にしています。

絵本好きと言って、それがどのほどかというと、こうです。就学前の0歳から6歳までの間に、息子に読んで聞かせた本の数(絵本・童話・児童文学)はおよそ800冊。一冊にいくつものお話が入っている本もあるので、物語の数でいうと1000は超えています。小さいうちは同じ物語を何度も読んでもらいたがるので、冊数は控えめでしたが、就学前の6歳ごろになると、突然一度読んだ本には目もくれなくなり、次々に新しい物語を欲するようになりました。そして小学校に上がった最初の1年で350冊(は優にあると思います)。もちろん量こそが大事だとは少しも思っていませんが、絵本が好きで自ずとそういう結果になった、ということです。ついでに息子も今では読書好き。

それで、さらに家の中だけでは飽き足りなくなり、地域のお話団体に入れてもらうことになりました。こうして子供達のために、せっせと選書して読んで歩いて回ることになったというわけなのです。

絵本の読み聞かせというのは、もちろん誰でもできると思いますが、お家で我が子に読むのと、子供達を集めたお話会ではだいぶ違い、後者の場合はある程度のコツが必要だそうです。読み手向けの講習会や実習勉強会などがあるので、ベテランの講師に教わりつつ、私もその「技」を少しずつですが身につけていっています。ここ最近、ようやく少し慣れてきたな、と感じているところです。

目下、活動の場は3箇所。

私が読み聞かせやお話会で楽しみにしている一つには、絵本選びがあります。図書館だと小さい子が多いので、わかりやすくて見やすい本、地域の小学校に出向くときには、シンプルでありながら少し内容が深い本。遠目に映える絵、だとか、季節を意識したテーマ、だとかの気配りも必要で、あれこれ考えながら選ぶのは本当にわくわくします。

そんな感じで活動を楽しんでいるわけですが、先日仲間の一人が小学生でも高学年になってくると選書に困ると悩んでいました。確かに、ほんの10分~15分の間に1~2冊となると、長い話では読みきれないし、そもそも集団で聞く場合は、いろいろな子供がいるので、集中力も散漫になりやすいことから、年齢より少しばかり易しい内容のものを選ばなくてはいけません。でも高学年となるとそれ相応の、聞き応えのある内容でないと白けてしまうと。なるほど、それには私も頷きました。

そこで、中学年から高学年を意識してみた結果、こんな素敵な絵本に出会ったというわけです。

(上の写真は、左上から時計回りに、『ぼくのだいすきなケニアの村』(BL出版)、『アローハンと羊』(こぐま社)、『うみのむこうは』(絵本館)、『少年の木』(岩崎書店)。)

中~高学年には、歴史や国際的な感覚に触れるような内容も必要かなと。

『ぼくのだいすきなケニアの村』これは一見、低学年向けのような気もしますが、大人もヘエと思うケニア発見があって面白いです。

たとえば、ケニアといえば草原というイメージがありましたが、それを払拭してくれるような商店なども登場します。(村があるのだから当然といえば当然ですが。)虫を捕まえてそのまま食べるシーンは、心地よい衝撃を受けます。絵もケニアの人々がすぐ隣にいるような感覚を覚え躍動感があり、温かみに溢れた親しみやすいタッチです。

ケニアは、「遠いどこか」、「知らない人々がいるところ」、ではなく、自分たちと同じ、でもちょっと違うところもある楽しいところ、という感覚が得られるのではないでしょうか。私は思いの外、気に入りました。

『アローハンと羊』。テレンス・マリック監督の映画を思い出すような絵本。壮大な自然と澄んだ空気を映し出す、流れるような美しいモンゴルの情景詩です。淡々とした物語でありながら、自然を愛でる心、命を大切にする心が膨らみそうです。絵は古典的な水墨画で地味ですが、私はこういう子供に媚びない、優れた絵の絵本が好きですね。

次に『うみのむこうは』ですが、これはお馴染み五味太郎さんの作品で、相変わらず色彩がきれいです。これはさすがに低学年向けですが、海の向こうへの思いを膨らます作品で、想像力がグンと広がりそうです。シンプルで見やすいのでお話会にはもってこいですね。

最後に、これまた私が気に入った作品です。『少年の木』ですが、舞台がおそらく中東。

戦いで瓦礫だらけになった地に、少年は小さな葡萄の芽を発見します。まるで希望の光を灯すように、一生懸命育てていると、葡萄の蔓はやがて大きな木陰をつくり、そこには小鳥が集まり、子供たちが集まり、小さな楽園となります。

ところがあるとき兵士がやってきて、蔓を根こそぎ取ってしまい、小さな楽園は消えてしまいます。少年は悲しみますが、生命はすばらしいもの。少年が育てた葡萄は、散った種から、残った根から、少しづつ芽が出てきて、やがてーー。平和への願いが込められた、高学年でも読み応えのある作品でした。

それにしても、数え切れないくらい素晴らしい絵本があって、正直、紹介しきれないのが悔しいところです。

Anne

大人のおしゃれ手帖ブログ 更新情報を受け取る

大人のおしゃれ手帖ブログ
更新情報を受け取る

Twitterでフォロー

RSSで購読

RSSファイル

follow us in feedlyfeedlyで購読

メルマガを購読